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Showing posts from 2025

Project Plan3を使ってみる

MS Planner and Project Plan3を試した。これはMicrosoft Projectとして長年知られていたものの同等物。 作りたかったのはPMBOKでいうところのWBS、アクティビティリスト、そしてプロジェクトスケジュールネットワーク図。 Project Planでは全て登録する内容が"Task"というカラム名になっているところは少し気になるものの、そこを無視するとすれば、WBSでいうWork(=成果物)は整理が可能なように思う。 WBSはあくまでWork(=公式の翻訳としては作業=そしてこれはいわゆる一般用語としての「作業」の結果の成果物)を管理するもので、その最下層にあるワークパッケージを完成させるために必要なアクティビティは別途アクティビティリストにした上でそこで作業期間や順序を規定する、というのが理屈という整理はできた。 が、それを正面に受け止めて、WBSとは別にアクティビティリストを作り、どの成果物に対するアクティビティなのかをうまくリンクさせながら管理する、というのは現実としてイメージが沸きづらいように思った。 ということで他の事例を書籍やネットでいくつか見てみたものの、結局WBSの最下層(ワークパッケージ)をアクティビティリストに分解するという関係性のためか、そのまま最下層の次の層(=見かけ上最下層ではなくなるということ)にアクティビティを記載するというのがどうも現実的なのだなと改めて理解した。 となると、Project PlanのPlanとしてまずはWBSを書いてそこにアクティビティを足すという流れ、そこからアクティビティに対して想定期間と依存関係を追加することでネットワーク図(ガントチャート)が表現できるという流れで進めると一旦は良さそうということでわかった。 ここで改めて、そもそもどのようにWBSを作るべきなのか確認して、今更長年の自分のWBSを作る時に持っていた違和感に対する回答を見つけた。 >同一の分割原則をWBSの全層にわたって適用することに何の問題もない。しかし、実務に携わる者の間では、同じWBSに2つないし3つの分割手法を同時に適用する混合手法がより実務的だという意見が多い。(中略) >WBSを構成する3つの手法のうちのどれが自分のプロジェクトに適しているだろうか。この疑問を解決する...

認められたいと思うこと

近いうちに、笑ゥせぇるすまんが実写ドラマ化されるらしい。 そんな話を見かけて、かつて見たアニメを思い出したものの、どうにも映像作品よりも読み物の方が好みのようで、せっかくなのでコミックス版を購入して読んでみた。種々色々な話はあれど、人の欲求は尽きない、一つ叶えば次が欲しくなる、そういうものだよなあと、感じさせられる代物だった。 最近考えていることがある。それは、承認欲求というものについて。 言われてみれば当たり前なのかもしれないことを書くようだけれど、人が持つ、認められたいという欲求は、もしかすると自分の存在意義に直結する根源的な話で、(衣食住などの基本が整った状態を前提にすると)存在意義を感じられないと自分自身の存在に疑問が生じてしまう危機的な状態になるから、そうならないために自然とあれこれ手を打って、認められたいという欲求を満たそうとしているのではないか、そんなことを思うようになった。[^1] さすが社会的な生き物というか、相対的な世界で生きているというか、そのために自分の価値を認めさせるという方法も取られるし、そうではなく、他の認められている価値を否定したり下げたりすることで結果として自分の価値を守るような方法も取られるように思う。 そして認めてもらう対象となる主体についても複数あって(もしかするとすべてが「自分自身」を認めるということに帰結するのかもしれないけれど、一旦それは置いておくと)自分を中心にした円心状に分かれているようなイメージを持っている。 ・自分自身 ・家族など非常に近しい存在 ・友人や職場など一定の近しい存在 ・社会(世間)や国などの遠い存在 自分自身について、自分はうまくやれているな、よくできているなと思いたい。 家族など近しい存在からもよくできているなと思われたい。 友人や職場などからもよくできているなと思われたい。 世間などのような遠い存在からもよくできているなと思われたい。 内側で十分に認められた感じが得られないと、外側の円へとその矛先が向いていって、認めてもらえないという気持ちを満たしにいく。 しかもこれは、一度認められたらOKなのではなくて、継続的にそう認められ続けたいという、まさに尽きることのない欲求なのだと思う。 欲求というところがこれを複雑にしていて、単に全肯定してもらえればそれでいいのかというと、それでは飽きてしまう。刺激...

雑誌というパケットに期待を込める

故あって雑誌を2冊ほど購読し始めた。 月毎に届くものと、四半期に一度届くものがある。 これに、なにか感じるものがあったので書き留めることにする。 ちなみに、頭の中のものを書き出しただけなので、今時点で答えはない。 いきなり大きな話をするようだけど、近頃は、情報量が非常に多いように思う。 自分の立場や状況から読むべきとされるものも含めると、読みたい、受け取りたい情報はとてつもない量で、多分、取捨選択をしなければ読んで理解していくよりも早く情報が増えて圧倒されてしまうのだよなと感じることがある。 そして、この取捨選択のフィルターをいい具合に用意することに疲れてきているのかもしれない、なんて思う。 その点、雑誌は良い。いつでも情報が入ってくるのではなくて決まった頻度だし、情報量は誌面に収まる程度、せいぜい100ページ弱、既にフィルターされていて読み始める前から終わりがある程度見えていて、そうすると、どれどれ、なんて気軽な気持ちで見て、30分もしないうちに終わって、知りたかったことの幾らかが満たされて満足な気持ちになる。 そして、もう一点気づいたこと。それが、物理的な存在感による圧力を持っているということ。 読み終えない限り、机なりどこかにそれは置かれ続ける。 ボリュームも前述の通り、大したことはない。 それがずっと居座っているものだから、それだったらさっさと済ませるか、と思って早々に読み終えたい気持ちになる。 そんなことをもやもやしながらずっと考えていて、これを自分のサイドワークや学習などの何かに応用できないか、と頭を捻っている。 英会話学習の一環で薦められた動画に影響を受けて、色々と仕事やプライベートでの忙しさに変化はあるけれども、1週間に1冊は何かしら本を読むようにしている。(まあ実際には厳密に1週1冊は難しいので52週で52冊、を目指している) それはあまり自分に無理がないらしく続いているのだけど、長く時間のかかるプロジェクトの類(例えばドメイン管理のサービスを移行するとか、メール関連のサービスに更新をかけるとか、資格取得に向けた学習をするとか)については、気づくと先延ばしにしてしまって数週間が経っている。 これを、雑誌のように、今週号ないし今月号はこれ、ということでNudge(ひじで小突くこと、要は行動を軽く促すこと)と言える程度の適度な圧を自分にかけてうまく前に...