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バーンアウトとおもてなし

近頃『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』を読んだ。

バーンアウトないし燃え尽き症候群がかなり多義・曖昧に使われているという点を踏まえて、次のように記載されていた。


>バーンアウトに陥るのは、仕事に絶えずエネルギーを吸い取られていると感じるとき(消耗感)、顧客や学生を助けるべき相手としてではなく問題として見てしまうとき(シニシズムまたは冷笑主義)、自分の仕事が何も達成できていないと感じるとき(個人的達成感の低下) だというのだ。[^1]


その上で、このようなバーンアウトに陥るのは、自身の尊厳と仕事とを一致して見てしまう文化を醸成している社会のせいであるという話だった。

さらにいうと、サービス業の比重が高まってきていることも相まって仕事において人間性や内面的なところも含めて評価されるようになり、その上、仕事・雇用が生活に直結する話につながるところから、仕事での評価=自身の尊厳という傾向になっていると話が書かれていた。



そんな書籍を読んでいるところで、たまたまTED Talkで次のようなものを観た。


Will Guidara: The secret ingredients of great hospitality | TED Talk

https://www.ted.com/talks/will_guidara_the_secret_ingredients_of_great_hospitality?subtitle=en


2年ほど前の話で、『Unreasonable Hospitality』という書籍(邦訳は出ていないが、日本語訳すると「常軌を逸したおもてなし」とのこと)を出している著者のTalk。

内容としては、高級レストランで、普通ならやらない、しかしお客様が望んでいた、露店で売っているわずか2ドルのホットドッグをお客様のために提供したことをきっかけに、お客様一人ひとりに合わせたおもてなしを提供するという心が大事ではないか、というもの。


同様にサービス業の比重が高まってきている話を引き合いに出していて、今後「おもてなし経済」においてあえて「常軌を逸したおもてなし」をすることも良いのではないか、という締めくくりだった。



とき同じくしてこれらを見聞きし、これをやればお客様との最高の関係を築き成功できますよ、ということで紹介している、相手の期待値を超えようとするその試みは、もしかすると、バーンアウトをより起こしやすくしてしまうのではないかと感じた。


Will GuidaraはTalkの中で、これをやった結果、お客様だけでなく従業員も喜び楽しく過ごせていて働く意義を見出せている、という話をしていた。

その上で、歯医者でもタイヤ交換でもどこでも同じように、常軌を逸したおもてなしは提供できるという話だった。


もしそれを真剣に提供しようと思うと、日頃から、どのように相手の期待値を超えようかと考え、お客様と対峙しているときには片時も気を抜かずにお客様を徹底的に観察し一言も聞き逃さず、そして適切なタイミングで、普通なら提供されないだろう、という範囲を超えた、そんなおもてなしを提供することになる。


もちろんこれをやるのは自分ということで、裁量が十分に与えられているという点ではバーンアウトに対してはマイナスであるものの、お客様とのエンゲージの程度が高く、(満足度は高くとも)すごく消耗するのではないだろうか。


そして、それが無事実現できると当然に高く評価される。それがあちこちで起こるわけだからお客様の立場では期待値がさらに高まる。こないだはこんなサービスをしてもらえた、今回はどんなふうに期待を超えてきてくれるのだろうかという考えが定着していってしまって、感情労働の負荷が非常に高まるんじゃないかと、そう思った。



まだ『Unreasonable Hospitality』は読めていないから、その内容を抑えてから改めて、ということになると思うけど、このような考え方を礼賛するようだと、それは「バーンアウト文化」をバックアップすることになってしまうように思う。


もちろん、それをやりたくてやる、という人がいてもいいようには思うものの、そこが、雇用であるとか尊厳であるとかに結びついてしまう限りにおいては、やりたくてやる人がいるだけだからいいじゃないか、という話にもならない。


例えば、ジェットスキーをうまく乗りこなせるとか、陶芸教室で作品が上手く作れるとか、そういう話を聞いたとして、それ自体は賞賛の対象になるとしても(典型的な会社員においては)仕事や自己の尊厳には通常はつながらないように思う。

常軌を逸したおもてなしも、そのような、あくまでそういうことが好きな人が好きでやる、という範疇に収まれば良いのだけど、どうしたってそれをサービス業のサービスの一環として行うのだから、仕事として評価されて、現状だと雇用や尊厳にほぼ直結してしまう。


『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』の著者は、これは文化的な問題だから個人よりももっと大きなレベルでの解決が必要という話をしていたけれど、こういった常軌を逸したおもてなしのような話を目の当たりにすると、それを個人レベルでも抑えて、社会全体として燃え尽きるような思いをせずに過ごせるようにはできないものか、そのためになにかできないだろうか、とつい考えさせられた。


おしまい。



[^1]: ジョナサン マレシック(2023), なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか, 青土社, loc: 367