スキップしてメイン コンテンツに移動

漠然とした不安の吐露

近頃、IT系のエンジニアの界隈ではChatGPTが流行っている。

無償で使えるGPT-3.5ベースのものと、課金をすると使えるGPT-4ベースのもの、それぞれ試して色々と壁打ちしてみたり、仕事に部分的に取り入れたりしている感じ。

最近だと、プロンプトエンジニアリングとか、プロンプトデザインって言われる、よりうまく活用するための方法を模索している人も多い。例えば次の記事とか。

要は、取り込んだネット上の記事という膨大な経験からそれっぽい答えを返してくれるということで、そのドメインを如何に絞り込んでほしい回答に近づけるかという話。
Programmableにするために頑張って変数定義している感じといっても良いかもしれない。

このあたりが出てきて、本当に性もない話だけれど、漠然と自分の現在していることに対する無駄感や、将来に対するぼんやり漠然とした不安みたいなものが取り巻いてしまっていて少しモチベーションが下がり気味になっているのが悲しい。

例えば職場で使用しているAWSやTerraformの技術、日々変わるこれを学習してもHowの部分は問題に落とし込めたら学んでいる意味がないのでは、とかそういう。
実際には、その問題に落とし込めるレベルまでの理解がやはり必要だし、あるいは、微細な部分まで考慮しきれるだけ深く学びきれたらそれはそれで多分当面はAIに代替されないのだけど。

そういうことが雰囲気としてはわかっていつつも、この勉強意味あるんかな、この時間の過ごし方意味あるんかな、なんてそんなことを考えてうだうだとしてしまっている。

GPT-Xを作る側に回るぞ、と勉強している人、積極的にこれらを使って生産性n倍ですわ!といっている人、そういう人たちに比べて自分の市場価値が相対的に低くなっているのではないかという焦りと不安。まあ、最大の敵は自分自身というのはよく言う話なので、これに懲りず興味に合うものを勉強して積み上げていくしかない、のかね。
という漠然とした不安の吐露でした。自分のできることを頑張ろう、なんだけど、頑張りの方向は考えないとね。

おしまい。