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昔を振り返る

知人からの紹介を受け、現大学3年の学生さんと1on1をした。
自分が話したことをメモしておく。

ゼミ活動について

過去にしたことを話した。
当時考えていたことは、特に前半は、いかに効率的に学習を進められるかということ。
それから、怠惰は罪、ということで、懐事情が厳しいメンバーの実情を理解した上で、遅刻したら課金が発生するような制度を運営していたことを思い出す。

そして、それは思い返すと誤りだった、という話をした。
その当時、指導教授から「勉強は一人でもできるがチームでしかできないこともある」といった趣旨のことをコメントとしてもらっていた。

ただ、それが当時は腑に落ちておらず、期限通りに進めてこない人の存在に苛立ちを覚えたりしていた気がする。

課金についてもそう。有名な話で、保育園のお迎えに遅れる母親たちをどうにかしたい思いから課金制度を導入したところ、お迎えに遅れる人はむしろ増えてしまったということがあったというのは有名。
内発的動機付けと外発的動機付けの話で、課金が発生させられる場合、逆にお金を払えばいい、という気持ちになってしまって、間に合うか間に合わないかという状況の時に急がずお金を払って解決するという方向に進んでしまったのだとか。

ゼミ活動はコミュニティ活動の一種で、その中には必ずと言っていいほどやる気のある人もいればやる気のない人もいて、自分の思う通りには必ずしも動いてくれないというのが現実だと今ならよくわかる。

それを前提にすれば、そのような引き締めではなく、来てくれるとどう助かるのか、どうしてそのような協力が必要なのか、などについて滔々と話すのがとるべき道だったのだろうなあと思う。

メンバーがうまくついてきてくれない感じがする、ということで、自分の意見が通りやすい状況になってしまっている(メンバーが無関心、同じレベルでの関心を持っていない)という話も出た。

そこについては、心理的安全性の話と裸で踊る男の話をした。
メンバーが心理的に、現在のコミュニティの中で安全だと感じることができていないかもしれないので、そういう観点で改善できることはないか探ってみるのは大事だという話。

それから、裸で踊る男の話は、どうにか協力を引き出そうとしても実は結構難しいので、引き出すのではなく、思わず参加したくなるように仕向けるのが必要かもしれないという話をした。
コミュニティ活動の中で楽しそうに何かをして、その結果何かが得られたことを嬉しそうに振る舞う(というか自然とそうなるような行動をする)と、それに乗りたくなる人がぽつりぽつりと増え、最終的にはコミュニティ全体に波及するというあれ。

かつて自分はPM理論でいくところのPm(タスク志向強、協同体志向弱)で、やるべきことをやるべきだ、という態度で過ごすことを辞さなかった。

結局、そういうリーダーシップの取り方も一つではあるものの、それでいいのか、とか、そういうリーダーシップはどういう点に弱点があるのか、というところを意識できると良かったんだろうと思う。

これらの話をする中で、学生の立場からは、次から次に様々なキーワードが出てきて驚いた様子だった。
ただ、当時の自分がそうだったように、学生から見た社会人の背中は遠いけれど、いざ社会人になって社会人が考えるベースのようなものがある程度見えてきたら、そこからは単に経験とか知識の差だけだから、ほとんど差はあってないようなものだという話もした。

就職について

就活をしているけれど、軸が見つからない、という話をしていた。
漠然と営業職はやりたくない、そして漠然とコンサルタントになりたい、と言っていたので、実は営業もコンサルティングするし、コンサルタントも営業をするのだ、という例を伝えた。
もちろん、評価される軸や、持っているRole & Responsibilityが違うから、当然振る舞いは違ってくるけれど、イメージだけで特定の職種を忌避するのは勿体無いとは思う。

この会社じゃなければいけない、なんて会社は実際のところほとんどの場合存在しなくて、どんな仕事でも大体いいんだよなあ、だからこそ広すぎて困り、結果絞り込みに行く必要性に迫られるんだよなあ、なんてことをぼんやりと話した。

近しい友人は、社会への影響の大きなインフラ的側面の強い業界の仕事をしたいという話をしていた。それは単に水道・電気・ガスのようなものだけでなく、生活の基盤になっている、言い換えると銀行や公共事業系のものも含まれる、ということで検討の軸があると、一般的な定義の軸とは別の側面から物事が見れて面白いと思う。

それから、文系でもIT系のエンジニアにはなれるのだろうか、仕事はできるのだろうかと聞かれた。
なれる、一定のレベルまでは、という話を自信をもって答えた。

理工学系の大学を出身したからといって必ずしもIT系のエンジニアとして優れているということにはならないと思う。
入社時点の知識レベルよりも、入社後の実案件で求められるキャッチアップの速度についていけるかどうかが鍵で、当然知識レベルにベースがあればキャッチアップしなければいけない内容を抑えられるから多少楽にはなるけど、それも高が知れている。

じゃあ、文理といった区分けは全く関係ないのか、といった話の中で、トップレベル、すごい人たちの中でもさらに突き抜けるには、コンピューターサイエンスや数学の理解が欠かせず、それは一朝一夕のキャッチアップでどうにかなるものではないから、それらを体形立てて且つ時間をかけて勉強してきた人たちには敵わない局面が当然に出てくると個人的な経験からも感じている、ということを話した。

ただ、選択肢として、大学卒業後に就職し、その後必要性を認識して大学院に進むというのも一つだと思っている。
大学から漠然と大学院に進む人たちと比べて、何かの強い目的意識があるので、情熱の燃え具合が違う、そうなると得られるものも大きく異なる、とかそういう話。

結び

自分がすごいから、ではなく、自分が社会人で単に学生から見て経験の多い人間だから恭しく話を聞いてくれたんだよな、ということを改めて認識している。
そして漠然と、こういうのを繰り返しているうちに、自分の話を聞いてもらえるのが当たり前、というような態度になっていってしまうのだろうか、と少しだけ不安になった。今のように認識できているうちは大丈夫だろうけれど。

おしまい。