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「妻子持ちエンジニアとしての休日の過ごし方」を読んで

Slow Warm Boot
最近ようやく、少しずつ、自分のライフステージについて受け入れられるようになってきた。
何かで見た四象限。自分、家族、友人、他人。元来、自分に対する比率が高く、家族に対する比率は低かった。子供が生まれた後でさえも。
正確には、徐々に家族からの人手不足を求められ、結果として家族に時間を割くことが増えていってはいたものの、目標値と実測値に差異があって、結果として自分のやりたいことをやれていない感覚がつきまとって離れなかった。

わかっていたことでも突き付けられると再理解できることはある。
付き合いの長い先輩に相談をしたときに得られた回答はマインドを変えるきっかけの一つになった。

結論いえば、自分のやりたいこと、時間を含めてどこまで自分の能力を捧げるかで決めたほうがいいです。
やらねばならぬで耐え方を考えてがんばって、自己満足に陥ると、やりたいこと、自分のためにやるべきことが思考から外れがちではないでしょうか。
仕事にやりたいことが大量に転がっていて、それはチャンスではありますが、以前の話したCovyの7つの習慣の仕事以外、「家庭」「健康」「財産」「教養」「趣味」とも比べて、どこまで捧げるかを決めればいいかと思います。
責務を持ちながら手を抜くはNGですが、できもしない量を引き取ってできないのであれば、結果的には手を抜いたのと同じです。

そして、続けてもらった次の言葉が多分、自分には刺さったのだと思う。

「押し込もう」とする方を支えてあげたいと思うであれば、受け取ってあげればいいし、押し込まれる仕事がやりたくなければ"砂をかけない"ような理由で断るものよいでしょう。


それ以外にも下地の準備はもちろんあって、例えばnoteで公開されていた次の記事もそうだった。

妻子持ちエンジニアとしての休日の過ごし方|Keisuke69|note https://note.com/keisuke69/n/n2b5c9e25cd09

自分自身でこのテーマについて考える時間を持っていたこともあって、結果として気持ちをようやく現状に追い付かせることができつつある。
Planned Happen Stanceとも少し違うけれど、変化を起こすと言うよりも、変化を受容できるような気持ちの準備を整えるというか、そういうことができていたのだと思う。


何が変わったか
焦燥感が薄くなった。今ではない(”Not now”)、と自信を持って自分に言えるようになったから。
この週に身に付けたいこと、この週でやり切りたいこと、そしてこなしたい仕事、そういったものを積み上げていて、そしてその量は独身の時代から基本的には増やしはしても、減らすことはなかった。なぜなら「自分は成長している」と思い続けたかったから。

結果として、現実的には確保できない時間量を必要とする内容になってしまい、ギリギリ達成できるかできないか、というキリキリした感じが続いてしまっていた。(だから子供に1秒でも早く寝てほしいと常々思っていた。作業をしたいから。)

先輩の言葉とnoteのブログの内容はそこに待ったをかけてくれて、この厳しいライフステージが一生続くわけではないし、仕事に時間を使えるステージに再び戻ったときに改めてキャリアについて考えて(“Stop to design your career at crossroads”ということ)、仕事に対する人生上の予算を見直せば良いのだと、そう腹落ちさせることができた。

その結果、今年の昇進をすっぱりと気持ち的に諦めることができたし、押しつけられた社内向けの貢献としてのアセット作成も断ることができた(結果として所属長とは揉めたし禍根は残ったけれど、それでいい)し、後輩が「Visibilityを上げることが大事だ」と息巻いてブログで発信しているのを見ても「自分もやらなければ」といった変な気持ちにはならないで済んだ。

大きな会社にいるということは、対外的なVisibilityがそれほどなくても仕事に困らないという強さを持つことに他ならないと気付いた。Visibilityがあればより仕事は集まってきやすいし、情報も集まってきやすい。そしてなにより、かっこいい。
が、集まってきた仕事や情報を適切に処理するところまでを合わせてVisibilityの向上に意味があるのだと自分は思っている。だから、やっぱりそれも、今ではない、のだ。

エンジニアとして勉強はする。今の、そして将来の仕事のためでもあるし、何よりそれが楽しいから。だけれど、必要以上に自分から巻き込まれに行って仕事を増やさない。なぜなら巻き込まれたってこなせるステージにいないのだから。

ここまでの自分なりの落ち着きにたどり着くのに2年以上かかった。
そしてやっと、穏やかに働ける、そう思う。